最新号76号が発刊されました。

76号特集
どうなる!トキワ荘復元 ミュージアム整備構想

マンガの聖地
としまミュージアム整備を考える

東京10区補選で注目!秋の陣を制するのは誰か?
byみんたん

「東京芸術祭2016」池袋エリアで今年からスタート
東京芸術祭事務局 植松侑子さん

今月のキラリ人
女性だからこそ出来るきめ細やかな運営で盛り上げたい!
ワイエムユーシーネット 代表取締役 山内信子 さん

先進まちづくり事例
話題性抜群のテナントが集まる賑わいのビル
梅本ビル 西池袋

新連載 雑司ヶ谷物語(第一回)
法明寺 蕣(あさがお)塚

などなど盛りだくさん
特集は以下から読めます。

特集:どうなる!トキワ荘復元 ミュージアム整備構想
(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備 
 2019年3月オープンに向けて検討中
今、考えよう! 「トキワ荘」文化を発揮したまちづくり

 今年6月、高野之夫区長は、第二回区議会定例会の招集挨拶のなかで、漫画の原点「トキワ荘」の原寸大の復元施設を「マンガ・アニメミュージアム」として豊島区南長崎に開設し、クールジャパンと言われるマンガ・アニメ文化を世界に発信すると宣言した。
 オープンは東京五輪前の2019年3月を目指し、今年度中に基本計画を策定する考え。
「マンガ・アニメの聖地」とする豊島区から何を発信できるのか、トキワ荘を巡る豊島区のまちづくりの歩みも含めて、あらためて考える。

そもそもトキワ荘の時代が「マンガ・アニメの原点」と
呼ばれる理由とは

マンガの神様と呼ばれた手塚治虫が、大阪大学の医学生だった昭和25年、雑誌「漫画少年」を発行する学童社の加藤謙一氏に東京で出会い、あの「ジャングル大帝」の連載が始まった。手塚はすでにその3年前に、「新宝島」を出版し、業界注目の存在ではあったが、雑誌連載は初めてで、しかも当時の漫画は短い一話読み切りが主流のなか、長編ストーリーへのチャレンジに加藤は「ページを割く」と約束して受け入れた。
「ジャングル大帝」は大ヒット、手塚は翌昭和26年には光文社でも「アトム大帝」を連載し、いよいよ大阪から東京への通いをやめ、昭和28年初め加藤謙一の二男宏泰も住む新築したての椎名町のアパート、トキワ荘の一室に住むことになる。
その年の暮れには新潟県から上京した漫画家寺田ヒロオが、そして翌29年には手塚が雑司が谷の並木アパートに転居し、同室に富山県から呼んだ藤子不二雄となる少年2人を住まわせ、続いて長崎県から鈴木伸一も入居して、手塚治虫の新しい漫画作品のあり方に共感し、憧れ、漫画でこれまでにない表現作品を作ろうとする全国の少年たちを惹きつけた。
その中心となった場はやはり「漫画少年」だった。石ノ森章太郎はこの頃、中学生時代から企画していた漫画同人誌「墨汁一滴」を肉筆回覧誌と呼び、生原稿をそのまま綴じた冊子を全国に郵送回覧させている。これが「漫画少年」編集部やトキワ荘、そして常連投稿者たちを巡り、お互いを刺激した。
その石ノ森たち「漫画少年」の常連投稿者や「墨汁一滴」の郵送回覧を通じて仲良くなった赤塚不二夫などが「トキワ荘」に集い、理想の漫画を書こうという目的を掲げ『新漫画党』の結成を宣言するなど、トキワ荘で切磋琢磨する毎日を送ったのだ。
一方で、この昭和30年頃は、漫画に対する悪書追放運動が勢いを増す時期でもあった。手塚治虫が描く未来の高速列車や高速道路、ロボットなどの高度な発展の描写を「荒唐無稽」と批判し「デタラメを描く、子どもたちの敵 」とまで称されることもあった。
そのような時代のなか、手塚治虫を筆頭にトキワ荘に集う漫画家たちは、ただひたすら画期的な表現を模索し、理想の漫画を創ろうと生み出し続けた。その一つに鈴木伸一が横山隆一に師事し、動く漫画を実現するアニメ―ションへのチャレンジがある。
今や、クールジャパンの代表格とまで言われるようになったマンガ・アニメが世界中に感動を与える無二の存在となったのは、トキワ荘時代の若き漫画家たちの創作への情熱が憧れの原点となり、それに続く漫画家たちの新しい手法への絶え間ない継続の成果なのである。

トキワ荘協働プロジェクトのこれまでの歩み

昭和57年トキワ荘は老朽化のために惜しまれながらも解体となる。トキワ荘時代の漫画家が再び集い、テレビドキュメンタリーの放送や「まんが道」などの自伝的漫画により記念館への期待もあった。しかし、経済は「強い円」が実感されてきた時代、この頃を象徴するのは「東京ディズニーランド」の登場だ。貧しかった頃の日本の回顧よりも、これからの豊かさの反映を選ぶ情勢が底辺にあったのかもしれない。
そして、バブル経済期、崩壊を経て21世紀になる平成11年頃、地元商店街の店主たちを中心にトキワ荘記念館への設置要望運動が起こる。手塚治虫、石ノ森章太郎の巨匠はすでに亡くなっていた。豊島区はこの年、高野区長の1期目、財政健全化緊急宣言を発した時期である。
記念館でなくてもいい、まずは記念碑から始めようと運動が再起したのは、平成18年頃、商店街はトキワ荘のあった記憶を残そうと自作の立て看板でトキワ荘の跡を示すことから始まった。高野区長が標榜する「文化によるまちづくり」に呼応し、その後、トキワ荘記念碑設立準備会を町会と商店会が合同で立ち上げ、平成21年に豊島区により記念碑「トキワ荘のヒーローたち」を南長崎花咲公園に設置、そして住民と行政の協働でトキワ荘文化を伝えるまちづくり活動を継続することを目的としたトキワ荘協働プロジェクト、そして協議会を組織して「トキワ荘」に関するシンポジウムやマップ作成などを行いながら、平成24年には実際にトキワ荘が建っていた現日本加除出版株式会社に協力を仰いで、敷地内に「トキワ荘跡地モニュメント」が設置、平成25年には「トキワ荘お休み処」がオープンした。
この間、多くのトキワ荘を愛するファンや地域の住民がボランティアで参加し、活動を支え、気運を盛り上げたことは地元の協議会が行政に働きかける大きな力となった。

トキワ荘の復元
…「トキワ荘」文化を発揮したまちづくりとは何か

地元住民の運動から始まったトキワ荘協働プロジェクトが目標にしていた記念館は、今、「トキワ荘の復元とマンガ・アニメミュージアム」という形で実現されようとしている。
今年、4月にトキワ荘協働プロジェクトは、あらためて「南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」(足立菊保会長)と名称を改め、南長崎一丁目から六丁目までが地域一体となって、「トキワ荘のあった街」の魅力を十分に発揮した、“住環境が向上する”街を実現しようとしている。
第一回の全体会では、その目的をこう発表している。『目白で発祥した児童雑誌「赤い鳥」に象徴される児童文学や童謡、西池袋の「大正自由教育」学校群、長崎村の「アトリエ村」芸術運動に繋がる、南長崎の「トキワ荘」漫画文化の土台は、全国から集まり住む志を持った若き青年たちの学びと切磋琢磨する研鑽の場であり続けたこと。その地域的特徴として、多くの芸術的作品やものを創造する、または発信する者達に触れられる、交通至便な場所であったことが挙げられる。
この地域は、これまでいつの時代にも、人生の喜びとなる「ものつくりと発信」をすることの力を養うことに、最も「適した」場所であった。このことは南長崎の地の魅力である。国際的に、日本の魅力の一つとして「マンガ」が定着しているなか、マンガ・アニメの原点「トキワ荘」の伝承とともに、それを生み出した地域の魅力的な住環境が評価されるような街を創出する。』
「トキワ荘」文化とは、ものをつくる、考える、発信する、デザインするなどの力を養える「まち」ではないかという意識である。

今年度中に基本計画を策定
ミュージアム整備検討会議の議論に注目!

9月8日に第1回会合が行われた「(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議」は、3月までの半年に7回の会合を持ち、ミュージアムの基本計画を策定する予定だ。この間、地域では協働プロジェクトの全体会を隔月で開催し、進捗状況等を報告する。
検討会議の座長は、里中満智子氏、漫画家としてスタートした頃から池袋に事務所を持ち、トキワ荘に憧れてその先生方の背中を追って作品を創ってきたと語る。現在代表を務める、一般社団法人マンガジャパンも池袋に拠点を置く。里中座長は記者会見で次のように語った。
「あの偉大な先生方がいらした部屋を見たいです。、当時の原稿の復元物、〆切迫る原稿などがあればタイムマシーンに乗ったかのような気分です。あの時代にマンガを描くということ、あの時代の若者たちの熱意が、世界に類を見ない常識を打ち破るようなマンガを創っていったこと、それらをどう伝えれば現代の人たちに伝わるか、がとても重要だと思っています。
いつの時代でも、志を持った若い人たちが情熱を持って切磋琢磨する場所があることが、いかに社会にとって素晴らしい財産になることか、それを伝えたいと思います。」

フランスのルーブル美術館は、世界の9番目の芸術として「マンガ」を所蔵していく方針を発表している。
トキワ荘文化を伝える、私たちの地域が、その一役を担うことができるとすれば、どんなにたくさんの夢を後世の子どもたちに与えることができるだろうか。
豊島区の検討会議の状況や、協働プロジェクトの話題などを、定期的にメールでお知らせしています。
ご希望の方は「トキワ荘協議会」(略称)のメールに連絡希望をお送りください。
メール:s@tokiwaso.tokyo まで

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