最新号99号を発刊しました。

99号特集
トキワ荘復元ミュージアム
2020年3月オープン

トキワ荘文化を発揮する「まちづくり」を考える

池袋大仏&雑司が谷七福神
byみんたん

池袋疾走日記 第15回
2018.10 by古市コータロー

今月のキラリ人
使える・通じる英会話を目指す
英会話講師 コリナ・ラザレスク さん

大切なことはすべて時代劇から教わった 第7回
映画のはじまり、リュミエール
by大橋英晴

雑司ヶ谷物語 第22回
「面影橋」と「姿見橋」深まる謎を探る その3

などなど盛りだくさん
特集は以下から読めます。

特集:豊島区と秩父市が進める「新たな二地域居住」のモデルとは


トキワ荘文化を発揮する 「まちづくり」を考える

東アジア文化都市2019がいよいよ来年始まる。この主要な軸に「マンガ・アニメ」を置いている。クールジャパンと言われる日本のマンガの原点「トキワ荘」が豊島区にあったからだ。高野之夫区長は「トキワ荘」の原寸大の復元施設を「マンガ・アニメミュージアム」として豊島区南長崎に2020年3月にオープンし、マンガ・アニメ文化を世界に発信すると宣言し、進めている。
「マンガ・アニメの聖地」とする豊島区から何を発信できるのか、トキワ荘を巡る豊島区のまちづくりの歩みを含めて、この間の経緯をあらためて掲載する。

若い世代を含めた多世代による二地域居住を目指す

そもそもトキワ荘の時代が「マンガ・アニメの原点」と
呼ばれる理由とは


マンガの神様と呼ばれた手塚治虫が、大阪大学の医学生だった昭和25年、雑誌「漫画少年」を発行する学童社の加藤謙一氏に東京で出会い、あの「ジャングル大帝」の連載が始まった。手塚はすでにその3年前に、「新宝島」を出版し、業界注目の存在ではあったが、雑誌連載は初めてで、しかも当時の漫画は短い一話読み切りが主流のなか、長編のストーリーマンガにチャレンジする手塚を加藤は「ページを割いて用意するので書いてほしい」と約束した。
「ジャングル大帝」は大ヒット、手塚は翌昭和26年には光文社でも「アトム大帝」を連載し、いよいよ大阪から東京への通いを止めて、昭和28年初めに加藤謙一の二男宏泰も住む新築したての椎名町のアパート「トキワ荘」の一室に住むことになる。 その年の暮れには新潟県から上京した漫画家寺田ヒロオが「トキワ荘」の隣室に住み、そして翌29年には手塚治虫が富山県から上京した藤子不二雄となる少年2人をこれまで住んだ自分の部屋に住まわせ、自身は雑司が谷の並木アパートに転居する。続いて長崎県から鈴木伸一もこの「トキワ荘」に入居する。彼らはいずれも手塚治虫の新しい漫画作品の作り方に憧れて上京してきた。
手塚はこれまでにない表現作品を作ろうとする全国の少年たちを惹きつけた。 その中心となった場はやはり「漫画少年」だった。石ノ森章太郎はこの頃、中学生時代から企画していた漫画同人誌「墨汁一滴」を肉筆回覧誌と呼び、生原稿をそのまま綴じた冊子を全国に郵送回覧させている。これが「漫画少年」編集部やトキワ荘、そして常連投稿者たちを巡り、お互いを刺激した。
その石ノ森たち「漫画少年」の常連投稿者や「墨汁一滴」の郵送回覧を通じて仲良くなった赤塚不二夫などが「トキワ荘」に集い、理想の漫画を書こうという目的を掲げ『新漫画党』の結成を宣言するなど、トキワ荘で切磋琢磨する毎日を送ったのだ。 一方で、この昭和30年頃は、漫画に対する悪書追放運動が勢いを増す時期でもあった。手塚治虫が描く未来の高速列車や高速道路、ロボットなどの高度な発展の描写を「荒唐無稽」と批判し「デタラメを描く、子どもたちの敵 」とまで称されることもあった。 そのような時代のなか、手塚治虫を筆頭にトキワ荘に集う漫画家たちは、ただひたすら画期的な表現を模索し、理想の漫画を創ろうと生み出し続けた。その一つに鈴木伸一が横山隆一に師事し、動く漫画を実現するアニメ―ションへのチャレンジがある。 今や、クールジャパンの代表格とまで言われるようになったマンガ・アニメが世界中に感動を与える無二の存在となったのは、トキワ荘時代の若き漫画家たちの創作への情熱が憧れの原点となり、それに続く漫画家たちの新しい手法への絶え間ない継続の成果なのである。


トキワ荘協働プロジェクトのこれまでの歩み

昭和57年トキワ荘は老朽化のために惜しまれながらも解体となる。トキワ荘時代の漫画家が再び集い、テレビドキュメンタリーの放送や「まんが道」などの自伝的漫画により記念館への期待もあった。しかし、経済は「強い円」が実感されてきた時代、この頃を象徴するのは「東京ディズニーランド」の登場だ。貧しかった頃の日本の回顧よりも、これからの豊かさの反映を選ぶ情勢が底辺にあったのかもしれない。 そして、バブル経済期、崩壊を経て21世紀になる平成11年頃、地元商店街の店主たちを中心にトキワ荘記念館への設置要望運動が起こる。手塚治虫、石ノ森章太郎の巨匠はすでに亡くなっていた。豊島区はこの年、高野区長の1期目、財政健全化緊急宣言を発した時期である。記念館を立ち上げる余裕などあるはずもなく、この要望をすぐに叶えることはできなかった。
記念館でなくてもいい、まずは記念碑から始めようと運動が再起したのは、平成18年頃、商店街が主体となってトキワ荘のあった記憶を残そうと自作の立て看板でトキワ荘の跡を示すことから始まった。高野区長が標榜する「文化によるまちづくり」に呼応し、その後、トキワ荘記念碑設立準備会を地元町会と商店会が合同で立ち上げた。 平成21年にはこの準備会の要望を通じて、豊島区が記念碑「トキワ荘のヒーローたち」を南長崎花咲公園に設置、そして住民と行政の協働でトキワ荘文化を伝えるまちづくり活動を継続することを目的としたトキワ荘協働プロジェクト、その後、協議会を組織して「トキワ荘」に関するシンポジウムやマップ作成などを行うようになる。平成24年には実際にトキワ荘が建っていた現日本加除出版株式会社の協力を仰いで、敷地内に「トキワ荘跡地モニュメント」を設置、平成25年には「トキワ荘お休み処」がオープンした。
この間、多くのトキワ荘を愛するファンや地域の住民がボランティアで参加し、活動を支え、気運を盛り上げたことは地元の協議会が行政に働きかける大きな力となった。

トキワ荘の復元…
「トキワ荘」文化を発揮したまちづくりとは何か

地元住民の運動から始まったトキワ荘協働プロジェクトが目標にしていた記念館は、今、「トキワ荘復元(仮称)マンガの聖地としまミュージアム」という形で実現されようとしている。
平成28年4月にトキワ荘協働プロジェクトは、あらためて「南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会」(足立菊保会長)と名称を改め、南長崎一丁目から六丁目までが地域一体となって、「トキワ荘のあった街」の魅力を十分に発揮した、“住環境が向上する”街を実現しようとしている。
第一回の全体会では、その目的をこう発表した。 『目白で発祥した児童雑誌「赤い鳥」に象徴される児童文学や童謡、西池袋の「大正自由教育」学校群、長崎村の「アトリエ村」芸術運動に繋がる、南長崎の「トキワ荘」漫画文化の土台は、全国から集まり住む志を持った若き青年たちの学びと切磋琢磨する研鑽の場であり続けたこと。その地域的特徴として、多くの芸術的作品やものを創造する、または発信する者達に触れられる、交通至便な場所であったことが挙げられる。 この地域は、これまでいつの時代にも、人生の喜びとなる「ものつくりと発信」をすることの力を養うことに、最も「適した」場所であった。このことは南長崎の地の魅力である。国際的に、日本の魅力の一つとして「マンガ」が定着しているなか、マンガ・アニメの原点「トキワ荘」の伝承とともに、それを生み出した地域の魅力的な住環境が評価されるような街を創出する。』
「トキワ荘」文化とは、ものをつくる、考える、発信する、デザインするなどの力を養える「まち」ではないかという意識である。

ふるさと納税による整備費用への寄付は7千万円を超えて…
全国から期待が集まる

平成29年9月に始動した「(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議」は、座長に一般社団法人マンガジャパンの理事長も務める漫画家の里中満智子氏が就任した。
里中座長は記者会見で次のように語っている。
「あの偉大な先生方がいらした部屋を見たいです。、当時の原稿の復元物、〆切迫る原稿などがあればタイムマシーンに乗ったかのような気分です。あの時代にマンガを描くということ、あの時代の若者たちの熱意が、世界に類を見ない常識を打ち破るようなマンガを創っていったこと、それらをどう伝えれば現代の人たちに伝わるか、がとても重要だと思っています。
いつの時代でも、志を持った若い人たちが情熱を持って切磋琢磨する場所があることが、いかに社会にとって素晴らしい財産になることか、それを伝えたいと思います。」
今年2月から募集しているふるさと納税を活用した「トキワ荘復元施設整備基金」への寄附は10月18日現在で個人と法人を含め471件7千451万6331円が集まった。区の予想を上回る寄附額は、高野区長の熱意溢れるPRとともに全国のマンガ・アニメファンの期待が高まりつつある証でもある。
東アジア文化都市での「アニメ・マンガ」文化事業の発信がさらにミュージアムへの期待を高めることは間違いない。
区は近々にミュージアム内部の展示室の形態や運営方針などを発表される予定。マンガの原点、トキワ荘文化を伝える豊島区。私たちの地域がその一役を担う日は近い。

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